河端 泰子昭和6年1月25日福井県生まれ。戦時中、物のない時代に摘み菜などが食卓に登ったことから野の草花に興味を持つ。 結婚後は子育て、仕事が忙しくして趣味に時間が割けなかったが、70歳で退職した後は万葉の草花を訪ね歩いたり、摘み菜の会に入った。また、粘土で花を作ったときに花に色を塗ることから絵に興味を持ち「なら三原色の会」に入会してキミ子方式を学ぶ。
畑 弘子昭和6年1月21日京都府生まれ。幼少期より絵が好きで小学生の頃には油絵を学ぶが、万事不自由な戦時中は絵を描くことは出来なかった。戦後は友人と洋裁の仕事を始めるが、結婚後は子育て、夫の仕事の手伝い、舅姑の介護が忙しく、それが終わりやりたい事が出来るようになった70歳から「なら三原色の会」に入会してキミ子方式を学ぶ。